思考と読書【お金・健康・人間関係 編】

お金、健康、人間関係に関する本の書評と説明 ビジネス書や自己啓発が多くなると思います なるべく毎週投稿できるように頑張ります

■ヒトラーの時代 を読んで

 

  

書名:ヒトラーの時代

著者:池内紀


●本書を読んだきっかけ

コロナ騒動が起こってから本屋に

足を運ぶと本書が見やすいところに

ディスプレイされていた

子供の頃から、なぜナチスが台頭

したのかは疑問だったし

どうして多くの国民はヒトラー

信じたのか?

そんな疑問を解決したかった

 


●読者の想定

ヒトラーは武器は演説だった

今後、個の時代が到来すれば

人前で話すこともあるだろうし

演説の手法を参考にしたい人

そもそも歴史は勝者が作るもの

ナチスは戦争に負けて一方的な

悪役になっているが

そんな悪になぜ国民が全てを

たくしたのか知りたい人

 


●本書の説明

ワイマール共和時代のドイツは戦闘集団を

備えていた「鉄兜弾」「国旗団」「赤色戦線闘争団」

などで、それらは党の集会を警護する

という名目で暴力的手段も辞さなかった

1925年ごろ当時のヒトラー

ミューヘンを地盤とした、やたらと

演説好きな泡沫的右翼政治家の一人

だった

 


第1章

・父親アロイスは三度結婚して

その間にヒトラーと改姓した

美術学校は再受験で課題のデッサンが

不合格でハネられた

ヒトラーが青年時代に庇護を受けた

大半がユダヤ系だった、オーストリア

併合の直後、過去は慎重に消し去られた

ヒトラーが演説に目覚めたのは

1919年10月16日 午後7時

所 ミューヘン

入場料 300マルク

・12月10日ドイチェス・ビアホールで

演説、聴衆約300名

この頃、パン250万マルク

・ミューヘン最大の会場で

「未来か滅亡か」と銘打って大演説

これ以上なく分かりやすい対比で

二者択一を迫った賠償問題を契機に

弱小政党が、次第に人々を捉えていく

生きがいの消失と将来の不安。

そのような精神状態の中に、ナチス

は「救済役」として現れた

旧弊を断ち切り明るい未来を実現

邪魔立てする敵は何か?

ベルサイユ条約ユダヤ人、コミュニズム

断定してくり返し、またくり返し名指し

あまり太い声でなく、いい声で

ドイツ人特有の声であった

女性がとりわけ演説に「しびれた」のは

「いい声」の要素がはたらいていた

女性は男性より、はるかにその種の

ことに敏感なものである

・権力者のおおかたはヒトラー

過小評価していた。

元帥上がりのヒンデグルグにとって

元伍長のヒトラーは「頭のいかれた男」

せいぜいのところ「利用できる人物」

だった

・1932年2月、ヒトラードイツ国

を取得、これまでオーストリア国籍の

外国人で国会への立候補資格が無く

議員にはなれなかった

ナチスはプラカードに「ヒューラー

(指導者)」とだけ掲げていた

・呆然たる思いは当時のブルジョア

知識人層の大方が抱いていた

20から40を超える政党が集合離散

を繰り返し、やっと成立した内閣も

半年ももたず、何一つも決められない

誰であれ混乱を沈める役割が必要だった

ヒトラーは就任後初めてラジオ演説を

行い四年の猶予を懇請した

必ずドイツを復興させて見せる。

その際、ユダヤ人問題については

一言も触れなかった

・小さな玉として転がりはじめ

たのが、みるまに大きくなり

気づいた時には、もはや威嚇する

巨大な兇器になっていた

ナチス政権成立時点の幹部年齢

ヒトラー 44歳

ゲーリング 40歳

ゲッペルス 36歳

ルドルフ・ヘス 39歳

ヒムラー 33歳

党のエリートたちもまた若かった

ナチス・ドイツが特異なのは

時の権力者たちがいそいそと

ペンを取った、執筆にいそしんだ

アドルフヒトラー自身が

ベストセラー作家だった

日本にもキワモノの作品が

お目見えした

ヒトラーは私的贅沢を拒んで

いたわけではない

著書の部数を上機嫌に話していた

文筆で巨額の財をなした人に特有

の上機嫌というところだ

ナチスユダヤ人と共にロマ(ジプシー)

をはじめとする小民族を目の敵にした

 


第2章

ナチスは「国家を統一する」公約を

きちんと果たした。一党独裁という

極端な形であれ、手の施しようのない

分裂状態よりはましだ、多少の窮屈さ

はあるが体制側と適度の隔たりをとって

いれば自分達の利益は確保できる

将来に希望を抱いて良いのである

・ナチズムは若い世代に浸透した

ヒトラー・ユーゲントをはじめ

少年少女、青年子女が組織化され

民族共同体の意識が高まった

・有害着色料の使用禁止

若さの回復をスローガンに

健康国家の側面を持っていた

・1945年ソ連潜水艦S13号の

グストロフ号病院船の撃沈は死者で

タイタニックを上まわる

にもかかわらずグストロフ号の

事件は語られないし引き合いにも

出されない

1903年ガソリンエンジンが蒸気

エンジンに取って代わった

ベンツとダイムラーが合併したのは

1926年である

自動車による階級及びその付加価値

属性からの解放とユダヤ人弾圧が

二人三脚のように進展された

・19世紀は新聞の世紀20世紀は

ラジオの世紀だった。

ヒトラーはこれを精妙に活用して

衆生活の枢機を握った

・条約は通常フェアトラークであるが

ヒトラーは常に命令を含んだ

ディクタートの語を使った

・マルクが本来の価値の1兆分の1

にまで下落するようなインフレを

体験していなかったらドイツ人が

これほどの行為に駆り立てられる

ことはあり得なかった

群集体験としてのインフレを

ユダヤ人に転嫁したのである

ゲシュタポ強制収容所において

拷問と虐殺を事故死、病死と

すり替えるシステムが完成

「他人の苦しみを耐えることにおいて偉大」

でなくては総統の官民とは言えない

「拷問されたものは二度と再び

この世にはなじめない屈辱の消える

ことはない」崩れ去った世界への信頼

というものを、もう二度と取り戻せない

アイヒマン問題でも実証されたが

責任者が表に現れない、事実を知り

ながら仕方がないと呟いて

大方の市民は良心をくびり殺していられた

ヒトラーの大きな武器は演説だった

独特のしゃがれ声と間の取り方

短いフレーズにまとめて断言する

時の力強さ。

ヒトラーの演説が短いフレーズの

繰り返しで成り立っていたことはよく

言われる

反ベルサイユ、反ユダヤ再軍備

コミュニズム、すべてを短く

要点は数を付してあげていって

一刀両断に断言した

それを飽きもせず繰り返した

事実、知識層には冷笑されたが

庶民には福音のようにひろがって

いった

・音響設備にも拘った

グロー放電式オルガン、現代の

シンセサイザーのはしり

帝国音響技師をフィアリング

の授けた

・ジュータリン文字

ドイツ語には古来「ドイツ文字」

という字体があった

当時のナチズムの幹部たちは

「ドイツ文字」は読めたが若い世代の

SAは「ラテン文字」しか読めない

党首の主著が読めなかった

そんな時代背景があり

「ジュータリン文字」が考案された

1935年ドイツの小学校にジュータリン文字

が取り入れられた

ナチス時代の数限りない死亡証明書は

必ずやジュータリン文字で記されていた

・制服国家

1936年、日本にヒトラーユーゲント招聘

日本に類似の団体が沢山できたが

日本版はヤボったく、統率がなかった

ヒトラーユーゲントは最初は

任意であったが義務化されていった

組織は細分化され階級づけられて

いった、軍隊的にならって区分が

分けられ功績に応じて昇進制度を

もうけた

当初は「平和スポーツ」と称されたが

指導項目一覧は

①隊列編成訓練

②地図の読み方、コンパスによる方位発見

コンパスなしの方位発見

③さまざまな種類の地形の描写

④照準訓練、距離の見積もり

掩蔽物探し、カモフラージュ、

偽装道路建設による的の誘導

⑥枝道探し、報告活動親び

地図のスケッチ

⑦隊列解散訓練

⑧行進中の隊列援護

⑨テントの張り方とジャベルの使い方

⑩位置確認と方位発見(夜間含む)

といった具合に「平和なスポーツ」では

なかった

身体訓練は

道具を使わないトレーニン

ボクシング、器械体操、水泳

クロスカントリー円盤投

さらに銃の訓練、それがそのまま

軍事訓練にもなっていた

・秩序が好きなドイツ人には

制服が似合うのだ、一糸乱れず

移動するナチス・ドイツは史上

稀に見る制服国家だった

制服は「社会的監視装置」と言える

その過程には監視するものと

監視されるものをとうして人間性

を容赦なく破壊するライバル意識

が働いていた

ヒトラーは自動車工学の権威

フェルディナンド・ポルシェ博士

首相官邸に招き正式に国民車の

設計を依頼した「かぶと虫」と愛称

されたフォルクスワーゲンの誕生

のはじまりである

ナチスは巧みにユーフェミズム

を多用した、耳障りのいい

緊急指令がワイマール憲法

認めた自由を停止できる法例と

なった

・最初の強制収所はミューヘン近郊

ダッハウに作られた

・ドイツはもともと地方自治の強い

国で連邦制をとっていた

・宣伝省は一方では新しい法令の

新しさを伝え、他方では決して

ハッキリとは伝えない

・ワイマール共和国から独裁へ

わずか1年での変わりよう

(ナチ党平均年齢38歳)

コマが一つはじかれた途端

もはや何者にもとどめられない

力をおびて前へ前へ進んでいった

 


第3章

・1923年のミューヘン一揆の失敗の後

ヒトラーは戦術を転換

民主主義の中の合法的

もしくは擬似合法手段を求め

それを仮借なく利用し尽くす

ことで権力の座についた

・1928年5月総選挙

ナチス 12席

・1930年9月総選挙

ナチス 102席

スローガンは

「強いドイツの復活、ベルサイユ条約破棄

ユダヤ金権貴族征伐」プラカードに

初めて「フューラー(指導者)」の名称

飛行機を使った猛烈な選挙戦

・1932年4月大統領選挙

ヒンデンブルグ(再選)1938万票

ヒトラー(次点)1341万票

・1932年7月総選挙

ナチス230席

議席608席中の第一党

・1933年1月

ヒンデンブルグ大統領不本意ながら

ヒトラーを首相に任命

国会を解散

・19333月総選挙(議席数647席)

ナチス288席

ナチスはその他大勢の浮動票を

標的とした

小市民はその時々の利害によって

イデオロギーを取り替える、その際

わかりやすく仮想敵が名指しであって

怒りをぶつけやすい事が必要だ

飽きもせず繰り返しユダヤ人を

名指しした論難は浮動票の取り込み

を意図していた

一方ゲッペルスは他の政党の機関紙

をさまざまな名目で発刊停止を

命じた

単独多数を獲得するため強引に

共産党を禁止し解党させた

ユーフェミズムにより自分たちに

都合のいい法案を実現していった

結果、ドイツの伝統のある党が

全て解党に追い込まれた

気がついたとき市民は自分たちの

代弁者を失い、よるべきな代表者

も持たず、公私を問わず監視の目に

さらされていた

・虎の威を借る狐、権力の片棒担ぎ

社会的なひがみをもって生きてきた

者が権力の末端を担うと、いかに凶悪

であるか。

また時流に敏感な小市民タイプは

いかに小狡く、小さな権力者に

すり寄っていくものか。

・総統に賛意を表明しないでおくには

投票を棄権か無効票を投じるしかない

・1936年3月29日

ラインラント進駐信任国民投票

・1938年4月10日

オーストリア併合の是非を問う

国民投票

ナチスの時代大量の略語が使われた

党名そのものもNSDAP

とりわけ知られたのがSA、SS

理念の新しさを独自性をいうために

大量の新造語を当てた

音の響きが荘重で、重々しく

学術っぽい語を好んで採用した

ダッハウ強制収用者はヨーロッパで

初めて敵の人間ではなく自国民を収容

する建築物だった

ナチス強制収用所管理体制の骨格と

なった

アウシュビッツでは1冊の本すら

夢のようであった

「超越性」というものを一切失って

いた

・無利息で妻帯貸付金を給付したり

子供一人生まれると1/4が贈与金

に切り替わる4人産めばローンは0

結婚ローンのほか、子供への補助金

家族手当の三本柱からなった

新婚者のための新築住宅の税金免除

一流のコンサート、映画、スポーツ

国内旅行、海外旅行を労働者にも

まかなえるよう安く提供

健康に関する研究に巨額の援助

タバコは肺がんの主因である事を

世界で初めて証明

・長いナイフの夜

SSとゲシュタポが総動員され

SAの幹部を襲撃、銃殺した

・突撃隊は当初、「体育スポーツ」と呼ばれ

小さい党の武力組織

であったが集会所の乱闘で勝利を得て

勇ましくてカッコいい名称になった

SA(突撃隊)はナチスの下部組織

だったが育ての親レームには

自立した軍事部門でナチスが政権に

着くときは国防軍を補助する予定だった

長いナイフの夜までにレーム育成

のもと300万人に増大した

ヒトラーは車椅子の大統領を訪問し

大統領令戒厳令の下に首相の

権限を陸軍に委ねる旨の警告を受ける

粛清後、大々的な殺人を

「道徳的粛清運動」に仕立て上げた

そのためレームのホモ気質が格好の

理由になった

国民はヒトラーの決断に喝采を送った

・亡命ハンドブック

ユダヤ人亡命のためのハンドブック

「フィロ・アトラス」が出た、亡命に

あたって手続き、亡命先国の体制

国情、警察、言語、気候、金銭

食べ物、風土病、ビザ、税関

国民気質、女性観などさきにしって

おきたい内容が記載

亡命は出国ではなく入国であると

説いてある

・ナチ党は連日、悪意あるデマを

ふりまいた、ユダヤ人は守銭奴

好色で、不潔で、協調性がなく

売国奴で、狭量、狡猾、小心で

抜け目がなく鷲鼻で、毛深く

足は湾曲、背は猫背・・・

ユダヤ人とは何か?

ナチスプロパガンダでは

ユダヤの信仰を持ち、ユダヤの文化

や伝統や風習を尊びユダヤの国家理念

を持つ事だった

ユダヤ信条のドイツ市民教会」は

シオニズムには背を向けていたが

ナチス国家は政治的にも歴史的

にも合法国家だった

ポーランドは最もユダヤ人の多い

国の一つであり9.7%、首都ワルシャワ

は30%を超える、この国は出国

する国で入る国ではなかった

ポルトガル政府はリベラルで

8万から10万のユダヤ人を受け入れた

その大半がユダヤ人で無事に時代を

生き延びた

・日本はユダヤ人が0.002%程度

しかいないため、おすすめではなかった

パレスティナの項には

A1〜A5「資産を持つ者」

B1〜B3「確実な収入の見込める者」

C「労働証明付きの者」

・平穏の時代

1933年から1938年まで

ヒトラーが政権についてから

ポーランド侵攻までの5年間が

第三帝国の平穏の時代だった

・オリンピックが一つの国で

一年に二回開催されたのは異例

パルテンキルへン(冬)

ベルリン(夏)

P229-P230

ローマ法王との宗教条約はナチス

カトリック教会や学校の布教を承認

す一方でヴァチカンはカトリック政党

や労組の強制的解散を承認する

というもの

平穏の時代のヒトラーの明察と決断は

少なからず情報宣伝大臣ゲッペルス

お手柄だった

・顔の行方

ハインリッヒ・ホフマンはヒトラー

お抱え写真家だった

絶対的な独裁制を実現しておきながら

その顔、全身は、ごく普通の人だった

専属の写真家も、普通の家庭にある

中年男として撮影し続けた

それが権力者を支えるイメージとして

最も有効だと考えていた

ヒトラーは病的なほど潔癖症

工場地帯には公園や緑地帯を

作らせ産業界に大気や環境汚染の

防止を要請した

 


むすびにかえて

インフレの気配があると

すぐさま買い占めの列に潜り込む

デフレの傾向が言われだすと

小金をかき集めて闇金融に投資

したりする

カール氏によると世の中何事も

コネによるのがいちばんの早道である

ナチスの幹部たちはドイツや

ポーランドの国民の根強い

反ユダヤ主義を利用した

教養のある市民階級にも反ユダヤ

主義は根強くあった

 


あとがき

しがない泡沫政党の党首だった男が

急テンポに国民の人気を掴み

みるまに権力の座を駆け上がった

その理由を知りたいと思い

ささやかな本にした

 


●本書から得られた新しい知識

ナチス式挨拶:

「ハイル・ヒトラー」「ジーク・ハイル」

ヒトラー演説の特徴

①簡潔に断定して細かい議論はしない

②単純化したロジックを用いて

相反する二つを挙げ二者択一を迫る

③手をかえ品をかえて繰り返す

・全権委任法:憲法を除く法令の

制定にあたり国会の承認も大統領

の署名も必要とせず、また外国との

条約締結に際しても、議会の批准を

必要としない権限を首相に与える

というもの

・情報宣伝省発足時組織

①事務・管理部

②宣伝部

③ラジオ部

④新聞及び政府広告部

⑤映画部

⑥演劇・音楽・美術部

⑦国内外デマ防諜部

ナチス時代に流行した曲のほとんどが

「ぺーター・クロイダー作曲」

・当時ライカは伝説的なカメラで

一台で家一軒ほどの値段

・ヘンリーフォードは強烈な反ユダヤ

主義者でありアメリカにおいて

最も早くナチズムへの共感を

口にした人物である

・1935年のニュンベルク法

ユダヤ人はミドルネームに

男性は「イスラエル」女性は「サラ」

をつけなければならない

ゲシュタポ:ゲハイメ・シュターツ

・ポリツァイ(秘密国家警察)

・ユーフェミズム:事を伝えるに

あたり、わざと遠回しな表現をとる

曖昧にぼかした言い方をする

巧みに言葉を操作して真相をくらませる

真相を知られたくないときの

大衆操作の方法である

・1929年NY大暴落

暗黒の木曜日、日本では暗黒の金曜日

ダッハウ死の行進:50mに一人の

死者を出す3000人のユダヤ人が死んだ

・ヴェロニカの帛

ゴルゴタに向かう十字架を背負った

エスに汗と血を拭うためにヴェロニカ

という女性が白い布を差し出した

カトリックの教会にはこうした

「聖遺物」が展示されている

・結婚推奨法:無利息で妻帯貸付金を

至急

・ポログラム:組織的ユダヤ人迫害

 


●本書に出てくる格言

火、感激、尽きることのない理想主義

ナチスのスローガンー

彼が少しも我々に協力していない

ように思わせておけ、一方、世間には

彼はあたかも協力しているように

見せることだ

ーヨセフ・ゲッペルス

自動車が金持ち階級のものである

限り、それは国民を貧富の二階級

に分ける道具にしかならない

国家を支えている多くの国民大衆の

ための自動車であってこそ

文明の利器であり、素晴らしい生活を

約束してくれるのである

我々は今こそ国民のための車をもつ

べきである

ーA・ヒトラー

私はヒトラー総統に忠実に自分を捨てて

仕えることを誓います

ヒトラーユーゲントの誓いー

再びマイモニデスを読んだ

空襲警報の間、一心にヘルダーについて

考えていた

より多く読む事、より多くを

より激しく学ぶこと(中略)赤十字

小包より古典文学が望ましい

アウシュビッツの生活者ー

もしこの独裁者が政権四年目ごろに

死んでいたらドイツ史上もっとも

偉大な人物の一人として後世に残った

だろう

ートーランドー

 


●本書で得られた気づき

ヒトラーの演説が短いフレーズの

繰り返しで成り立っていたことはよく

言われる

反ベルサイユ、反ユダヤ再軍備

コミュニズム、すべてを短く

要点は数を付してあげていって

一刀両断に断言した

それを飽きもせず繰り返した

事実、知識層には冷笑されたが

庶民には福音のようにひろがって

いった

・英字の略語はナチスが初めた

ものだったSA、SS

ナチスが政権を握る前の

ドイツの政情はどことなく現在

と似ているところもあり

歴史は繰り返すなら本書で得た

知識は役に立つ事であろう

 


●今までの自分の考えと違ったところ

 


●本書の内容で実行してみたい事

あらかじめ選択肢を用意し

わかりやすく説明するという方法は

悪用さえしなければ良い手法では

ないだろうか?

セールスで使っている人はよく見かける